[TRPG論考]らきすたとドラえもん日常版と劇場版
ソードワールドの秋田みやびリプレイは「らき☆すた」モデル。
(この「愛のある擬似攻撃」という話を読んで僕が頭に浮かべていたのが、あずまんがではなくむしろこなたとかがみんの関係だったので、敢えてこう呼ばせていただく)
もちろんソードワールドなんで一応外敵らしきものはいるけど、秋田リプレイを面白いものにしているものの正体は、外敵との闘争ではなく、パーティ内での絶妙な微笑ましい毒舌の飛ばし合いだと思う。
逆に、同じソードワールドでも、清松リプレイは「劇場版ドラえもん」あるいは「OnePiece」モデル。
外敵との闘争に主眼が置かれ、そこに十分なストレスを生じ、解決によりカタルシスを得るタイプ。
……まあ、こっちは対比として置きたかっただけで、本当のところどうかなーという気はするけど。
まあ、らきすたモデルはこの際どうでもいい。
いや、どうでもいいってのは悪い意味じゃなくて、むしろ僕は好きなんだけど、特に今日語ることとは関係ないって意味で。
「粋なゲーマー養成講座」で朱鷺田祐介先生は「私たち、平凡な冒険者でいたいんですぅ」という発言をバカにしておりますが、僕はこういう感性に共感を覚えるほうなので。
フォーチュンクエスト的冒険者と言ってもいいかな。
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で、まあ、ストレスとカタルシスという方法論が語られることがあるわけですが。
清松リプレイ然り、大体のTRPGシナリオは、「外敵との闘争」をテーマにしている劇場版ドラえもんモデルですよね。
で、重要なことは、この「外敵」というやつが、プレイヤーに適度なストレスを与えるものとして機能しなければならない。
敵がどんなに強大で悪いやつであっても、プレイヤーに対して適度なストレスをというやつを与えることができなければ、これは意味がない。
あと、ストレスを発生させるのが遅すぎても、これまた良くない。
もしクライマックス直前までストレスが発生しないのであれば、そこまでの展開はだらーっとした感じの消化時間となる。
まあ、そこまでをらきすたモデルで乗り切るというのは1つの手であり、よくあるパターンだけど。
それともう1つ重要なこと。
異論はあるだろうけど、TRPGを「ゲームとして見るのならば」、ストレスは「プレイヤーに」与えられなければならない。
「プレイヤーキャラクターに」だけではダメ。
「プレイヤー」と「プレイヤーキャラクター」がそれぞれ所持している情報、その立場、できることや使えるリソースなどがほとんどイコールのゲームであれば、プレイヤーキャラクターにストレスを与えればそれがほとんどそのままプレイヤーへのストレスになるけど。
そうでないゲームであれば、また別の仕掛けが必要になってくる。
……まあ、言うほど簡単に満たせる条件ではないし、これが満たされているのであれば、それだけでも十分、TRPGシナリオとして一流だっていう気がしないでもないけど。
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言いたいことだけ言って、次。
NANAモデルで表される、内輪にストレスを抱える形。
これ(プレイヤーキャラクター同士での摩擦)はTRPGでは珍しいが、そういうシナリオがないわけではない。
確か昔、SNEのホームページか何かに、ソードワールド用のシナリオで「マイトレーヤ」というのがあったと思う。確か山本弘・作。
個々のプレイヤーには、ゲーム開始前に、自分のキャラクターについての個別の情報が与えられる。
これが相互対立の要素を含んでおり、他のプレイヤー(キャラクター)とは表面上、協力的な態度を装いながら、うまく自分の目的を達成させるというシナリオだった……気がする。実際にはプレイしてないし、よく覚えてないけど。
この手の内部対立の要素を含むTRPGというのは非常にスパイシーで面白いものだと思うのだが、残念ながら現在のTRPGではあまり一般的ではない模様。
香辛料は使用量を間違えると、辛すぎて、食うのが苦痛になるってのがその理由だと思う。
まあ無難な考えではあると思うけど、無難な選択は時として面白さというものをスポイルしてしまうものであり。
マスタリングやプレイングの方法論としてのプレイヤー間対立というものを完全否定してしまうところまで行くと、これは行き過ぎ。
甘口のカレーが、常に、辛口のカレーよりも優れているわけではない。
……まあ、自分の周囲に激辛のカレーばかりが流行っていたら、逆のことを言うのが僕なんだろうけど。
シーソーの負けてるほうにダッシュして、孤立するタイプ?
(追記)
プレイヤー間「対立」と言い切ってしまうと、共同体内部の問題というには少しニュアンスが違ってしまう気がする。
(日常版ドラえもんのジャイアンは内部問題というより外敵だよなぁとか思いながら)
少なくとも「相手が自分と対立関係にあるかどうかは疑わしく、また、表面的には友好的な関係を装いながら」を条件とする(学園でのルルーシュとスザクみたいな)か。
あるいは、「相互に対立する可能性を含んでいても、少なくともそのことが明確になるまでは、できる限り友好的な関係を保持したほうが好ましく、また、利害対立が明確になったあとでも、[目的の達成]と[友好的な関係]とを天秤にかけてどちらを取ることもありうる」ような状況であったほうがいいのだろうか。
NANAで言えば、個人的恋愛感情を取るか、共同体全体の和を取るか、みたいな。
(と、NANAを2巻ぐらいしか読んでない人間が言うのもがっかりな感じだが)

