原発反対派と賛成派
おそらくは、原発被害の大きさに対する認識の違いなのではないかという結論に至った。
原発反対の思想を持つ人の多くは、被災地の被害に目を向け、今回のような原発被害を「もう二度と、絶対にあってはならない、取り返しのつかないこと」と認識している。
この感じ方を合理的な考え方の持ち主にも分かりやすいような表現を使えば、「(マイナス)無限大の損失」となる。
発生したときの損失が無限大なのだから、その発生率がいくつであろうと、トータル的なリスクは無限大になる。無限大に0.1を掛けようが、0.000000000001を掛けようが、無限大だ。
したがって、リターンがどれだけ大きくても、その選択は間違っていると判断する。
一方、原発賛成の思想を持つ人の多くは、原発被害を「測定可能なもの」であると認識する。
あるいは、少なくとも「無限大」ではない、定量的なものであると考えている。
したがって、発生したときの被害の「量」に「発生率」を掛けた総合的なリスクと、原発を使用することによるリターンとを比較考量したときに、リターンのほうが上回れば、原発は使用するべきと考える。
リスクを無限大と捉えてしまえば、我々にできることなんて何ひとつなくなってしまうのも事実だ。
自動車だって、飛行機だって、事故が発生したときのことを考えれば「使うべきではない」となってしまう。
しかし一方で、すべての被害を測定可能なものだとするのも、考えを機械化しすぎだろうと思う。
今回の避難行動などの過程では、少なくない人命すら失われている。それすらも「数字」で済ませてしまうのが一方的に正しい考え方だと断ずるのは、いくらなんでも妥当とは言いがたい。
無知だ、利己主義だと互いを非難する前に、相手方の考え方に対しても一定の理解を向けた上で、物事を判断すべきだと思う。