[TRPG論考]キャラクター作成のパズル性
FEAR作品を筆頭として、最近のTRPGの多くは、ことキャラクター作成部分に関しては、かなり高いパズル性を有しているように思う。
このため(ゲーム的には)、実際のセッションよりもキャラクター作成のほうが面白い、なんて現実があったりもする。
この場合、実際のセッションは作ったキャラクターをお披露目する場、という扱いになる。
だいぶ前にも述べたが、キャラクター作成のパズル性の楽しさは、基本的に一過性のものであるという性質がある。
セッション中のパズル性が、敵が変われば千差万別、GMが作るシナリオによって毎度新鮮なものが提供されうる可能性があるのに対し、キャラクター作成時のパズル性は、一度考え切ってしまえば、次を楽しむためには追加のスキルやアイテムが掲載されたサプリメントを待たなければならない。
まあ、商売としては巧いやり方だろう。
ところで僕は自他共にぼちぼち認めるデータッキーであり和マンチで、このキャラクター作成パズルにも、よくできたものには、たいてい夢中になる。
しかし改めて考えてみると、「一体何が楽しいんだろう?」という気にもなってくる。
「強いキャラクター」を作ったところで、GMがそれに合わせて敵を調整するなら、ろくすっぽ意味がない。
それに「強いキャラクター」を作ることで、戦闘で楽をしたいというわけでもない。結局そっちはそっちで、スリリングだったり、歯応えのある戦闘を楽しみたかったりもする。
「強いキャラクター」を作ることは、本来的に意味がなかったり、むしろ逆効果だったりするわけだ。
いろいろと矛盾しているのである。
ふと思ったのだが、要するに、「僕はこれだけのリソースで、これだけのことができるキャラクターを作れるんだぞ」というのを誇りたいだけなのかもしれない。
「僕が一番ガンダムをうまく使えるんだ」的な能力証明への挑戦。
「ほかのプレイヤーよりも」という前提条件がどうしても入ってしまうので、協力型ゲームの遊び方としてそれはどうなんだ?という気もするが、まあ誰に迷惑をかけるでもなければ、「面白い」は正義だろう。
それにこの場合、「競争」が「協力」に反するというものでもない。サッカーや野球のようなチーム競技でも、味方チームの選手と実力を競い合ってはならないということはない。
だいたい、それはアリアンロッドのようなシステムが本来想定している楽しみ方であろうから、そのシステムで遊んでおいて、文句を言うほうが筋違いであるようにも思う。
つまりデータッキーは悪くないと僕は思うのだよ。(・`ω´・)
という、そんな話。

