[TRPG論考]TRPGの物語性
TRPGのシナリオ作成においては、枝葉の演出にこだわるよりも、各NPCの行動指針をしっかり決めておけというのだ。
これはおそらく正しい。
ストーリーラインをきっちり決めておくタイプのシナリオよりも、ずっとセッションハンドリングが容易くなる。
ストーリーラインがきっちり決められているということは、一本道シナリオであるというのとほぼ同義なのだから、それはそうに決まっている。
…のだが。
個人的には、これではどうにも物足りない。
僕がシナリオを作る際に、ゲーム的数字的なもの以外で何かをやりたいと思ったら、それはストーリーを作ることしかないのだ。
これを封じられては、シナリオを作る楽しみが半減してしまう。
閑話休題。
よくTRPGは「参加者全員で物語を作る遊び」と言われるのだが、個人的にはどうもこれはピンと来ない。
そもそも良い物語とは、視聴者・読者の感じ方などを高度に緻密に計算して成り立つものだ。
その場のノリや成り行きや、まして複数人のごっちゃになった嗜好を時間をかけて吟味することもせずにごたまぜにして良い物語などできうるはずもない。
向いているジャンルがあるとすれば、荒唐無稽のギャグコメディぐらいだろう。
……あー、あるいはあれだな。
物語として一定の方向性を持たない、あるいは極めて緩い方向性しか持たない雑多な出来事やキャラクターの集合体的なモノ。
らきすたとか、あずまんが大王とか、ちょっと方向性持つけどサザエさんとか、そんな系統。日常系か。
あれはあれで、いろんなモノが混ざり合ったほうが色々と妙味が出ていいものだ。
シナリオはただのネタとなる出来事。話のタネ。
戻って。
然るに、TRPGのシナリオとは、既存のいかなるメディアの物語構築理論ともかけ離れた理論に基づいて作られるべきものなのかもしれないと思い至る。
プレイヤーは視聴者である以前に、表現する者でもある。
そしてこの表現者であることこそが、TRPGの楽しさの源泉であるとも言える。
(それだけがTRPGの楽しさだ、と言ってしまうと言いすぎだと思うのでそこまでは言わない)
ならばプレイヤーのその表現欲求を十全に叶えるシナリオこそが、良いTRPGシナリオと言えるのではないだろうか。
……と、そういったところまでは辿り着いてみたというお話。
とは言えGM(シナリオ作成者)も表現者なのよね。
そんなシナリオ作ってて楽しいか、と問われると微妙かもしれない。