[TRPG気味]ボードゲーム・カードゲームから学ぶゲーム性
1つ、ブラフ。
1つ、人形遣い。
1つ、牛追い祭……あれ、正式な名前なんだっけ?(笑)
まあ、どれも名作と言われるだけのことはあって、大変面白いと思います。
下2つは大学のときに、やってはいるんですけどね。
あのときは……両方ともあみじゃだっけ、持ってきてくれたの?
さて、これらのゲームの共通要素を見つけた(ような気がする)ので書き出してみます。
1.スタートの時点でランダム要素が入り、その結果が他のプレイヤーに見えない。またスタートしたあとはランダム要素なく、各プレイヤーの意思決定のみでゲームが進行する(ブラフは例外あり)
ブラフであれば、最初にカップの中でサイコロを振り、その結果を当該プレイヤーのみが確認する。
人形遣いは最初のランダム要素は小さいといえば小さいのですが、場に出る何枚かのキャラクターカードはランダムで決定する。
牛追い祭はまあ、カードがランダムに配られると。
なぜ最初にランダム要素が入るかというと、理由は簡単ですね。
ランダム要素が入らないと、一度そのゲームのやり方を覚えてしまったら、初手でプレイヤーが行なうアクションが毎回同じになってしまうからです。
プレイヤーに与えられる条件が同じなら、とりうる最善手はいつも同じなのです。
将棋のように、スタートにランダム要素がなくても、最善手(というか勝利に繋がる可能性の高い手)がいくつか存在する場合はありますが。棒銀とか中飛車とか。
それがいわゆる「定石」ですね。……ですよね?
定「石」って言うからには、もとは囲碁用語かな?
あと面白いのが、スタートでランダム要素が与えられてからは、以後ランダム要素が一切ないことです。
プレイヤーが頭を使って戦術を考えはじめてからは、ランダム要素で戦術的思考の効果を台無しにされては面白くないということなのかな。
ここで思い出すのが、TRPGの(ダイス振らないタイプの)キャラクター作成です。
与えられる条件は(GMがシナリオに関する特別な情報を与えない限り)常に同じなので、これをゲームとして考えるなら、とりうる最善手はいつも同じです。
そこで熟練したプレイヤーに選択肢があるとすれば、将棋のように最善(と思われる)手がいくつも存在する場合か、あるいは敢えて最善手以外の選択肢を選ぶことです。
つづく。