[TRPG]成功とリスクのバランス
動かせるゲーム機本体が一台もないって状況は、僕の精神衛生上非常に宜しくない。
何か買おう、と思ってゲームショップへごー。
携帯ゲーム機のほうが安くていいなぁと思い。
将来性を考えて、今買うならDSしかないんだろうなぁと漠然と思うのですが、どうも並んでいるラインナップに惹かれるものがありません。
一般人向けのソフトに惹かれないのは相変わらずです。
しかしそうすると……むー、何か癪だが、壊れたゲームボーイアドバンスを買いなおすか?
……などと考えて、アドバンスのソフトのラインナップを見ていて目に留まったのが。
ウィザードリィ。
ウィザードリィのいくつだったかとかは知らない。
もうウィザードリィを見た瞬間に別のことを考え始めて店の外に出ていたから。
ウィザードリィは今やれば絶対に面白いと思う。思うのだが。
なんかすっげぇ話したくなると思うんだ。誰かと。ゲームの内容について。
「こんなやばい目に遭った!」って、嬉々としながら。
でもそんなこと話される相手は別に面白くもなんともないのも、目に見えるんですよね。
同じゲームをやっていれば少しは通じるんでしょうが、会話にならない様がよく見える。
お互い自分の話したいことを話して、お互い相槌を打ち合うだけ(笑)
ウィザードリィみたいなゲームでは、そのプレイヤーが体験した「面白い」って、そのプレイヤーにしか通じない部分が多いんだろうなぁと。
だから、TRPGでそれを共有体験できたらすごく楽しいんじゃないか──まあ、ファイアーエムブレムやっていてもときどき思うことなんですけどね。
ただ、それが何故だかは未だに分析しきれないのだけど、TRPGをやっていてそういうワクワク感溢れる「やばい!」に出会うことが滅多ない。残念ながら。
多分最初のD&Dって、そういう楽しみができるゲームだったんじゃないかと思うのですが…
最近はどっちかっていうと深淵回廊のほうがそういう目に遭うことがあるかな。
某祝いの日にねこもりさんなんかと「Yunたん頭おかしいよ!(褒め言葉)」ってワキワキと話していたときは、もう本当に楽しかった(惜しむらくは別コミュニティだってことですが)
でも定期更新RPGはネタバレの問題が難しいんだよなぁ。情報が転がってるんだと、見ないで痛い目見るのはアホらしいし…
で、じゃあウィザードリィみたいなのを真似してみようと考えるわけなのですが。
死亡→灰→ロストっていう三段構えは、やっぱ凄いんだなぁ。
どんなに死んでもキャラロストの可能性がゼロなんだと、やっぱり興味がなくなるんですよね。
どんなにペナルティがあっても、続けていればいずれは必ず到達できてしまうわけで。
ところがウィザードリィだと「死亡」が頻繁に発生するから(それがまたこのゲームの大事な要素だと思うんだけど)、死亡=キャラロストだとさすがに面白くない。
よって死亡は復活できる。けどひょっとすると灰になって復活できなくなるという怖さ。
でももし灰になってしまっても、どうしてもどうしてもそのキャラが大事なら、まだ最後の望みがある……さすがは、積み重ねられたプレイによって生まれたシステム。
どういうシステムにすればプレイヤーが面白いか、ということを追求し、追求して作られたシステムは、やはり凄いと思います。
成功することが面白い。
でもそれが面白いのは、背後に研ぎ澄まされたリスクが存在するから。
その両者のバランスをいかに確保するかが、面白いRPGを作るにあたってとても重要なことだと思うのは……いつものこと。
ん、結論はいつもと変わらない!