宣言!オタクが気持ち悪いこと言います!
本当に気持ち悪いこと言うからな?
僕の嗜好なのか、はたまた一般的なものなのか。
「萌え」とはすなわち「恋」なのかもしれない。
面白い「物語」のもたらす満足感というのは、ひどく短期的なものであるように思う。
その物語を読んでいる、あるいは見ている、その最中は大変に気分が高揚している。
小説や漫画、アニメなど、それらのエンタテイメント作品を最後まで読み/見終えるためには、物語が面白くなくてはちょっとしんどい。
しかし、読み終えた/見終えた後になって振り返ると、物語というのは色褪せて見える。
極端に言えば、そんなものは比較的どうでもよいものであったかのようにすら思えてくる。
僕の感覚で言えば、少年誌の漫画の見本になるような作品は、特にそういう印象がある。読んでいるときはとても面白いが、後に引くものがあるわけではない。
これに対して「萌え」のもたらす充足感は、長期的なものだ。
その感動は、作品に直接触れている最中だけに留まらず、いつまでも残り続けるような錯覚すら覚える。
結局のところ、いわゆる「萌え豚」と呼ばれる人種(とりあえずここに僕自身も含めておこう)は、本質的に「物語」よりも「萌え」を欲求している。
しかし、「萌え」という目的を達成するには、面白い「物語」という手段を必要とする。
だから彼らにとって面白い物語が不要かと言えば、それはきっと否だ。
彼らは「萌え」を適切に、ローコストで獲得するために、面白い「物語」を必要とする。
仮に彼らが求める「萌え」を得られずとも、物語が面白ければ、損得なしのイーブンパーというわけだ。
面白い「物語」は目的でなく、手段であってもよい。
だから、「萌え」という目的のために使われるのは「物語」でなくてもよく、例えば笑い(ギャグ漫画)であったり、何となく心地の良い空気感の演出でも良い。
TRPGにおける「ゲーム」というのも、この「手段」に属するものなのかもしれない。
結局、後になって残るものは、卓で共有したキャラクターたちであり、彼らが歩いた道程だ。
(いや、一部、後になっても印象に残っているゲーム体験というのもあるから、一概には言えないかな?)
あと、この道程とやらを「物語」と言い換えてしまうと、「物語」という言葉の使い方の違いによる齟齬が発生してしまうのでややっこしいことになるんだけど……まぁいいか。
以上、萌え豚考察?
疑問符ばっか。