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Stray thoughts

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随想。あるいは道に迷った思考。

[TRPG]TRPGにおける物語(2)

 前にこんなことを書いてしまったので、いつか訂正を入れなきゃなぁと思っていたのです。

 TRPGリプレイの読み物としての物語と、TRPGセッションそのものの物語とは、その面白さについて考える際に、大きく性質が異なると思います。
 前者は小説、漫画、アニメ、ドラマなどを読んだり視聴したりするのと同様、受け手の立場に立って、その物語が面白いか面白くないかといった視点になります。

 これに対して後者は、どちらかと言えば、作り手としての楽しさが真っ先にあるように思います。
 小説家が小説を書く楽しさや、漫画家が漫画を描く楽しさと同種の、自分が表現したいモノを表現することによる満足感が、TRPGというエンターテイメントの根幹であり、もっとも魅力的な部分のひとつであるように感じられます。

 したがって──本当に極端な話をしてしまえば──TRPGの紡ぐ物語は、それを誰か余人が読んだり見たりしたときに「面白い!」と思えるものである必要性は、実はないわけです。
 作り手が楽しんでやれるかどうかということが一番の要件で、その要件を満たすために面白い物語を目指すという方法論はあるかもしれませんが、それは方法論のひとつであって、絶対要件ではありません。
 事実、TRPGを始めたての集団が紡ぐ物語は、それを物語として余人が享受したときに「面白い!」と思えるようなものであることはあまりないんじゃないかと思いますが、それでも、当のプレイヤーたちが楽しい時間を過ごせたのであれば、それはTRPGセッションとしては成功なわけです。

 この点、実はものすごい罠だと思います。
 ある程度TRPGに小慣れてきて、「面白い物語」に関して分析し始めちゃったりすると、この罠にド嵌りしかねません。
 より良い物語(『ハリウッド脚本術』流に言うなら「ドラマ」)を追求するあまり、プレイヤーたちの「作る楽しさ」を蔑ろにしてしまうという失敗です。
 典型的なものは「吟遊詩人GM」と揶揄されます。

 また、「物語」という言葉の曖昧さに翻弄されているケースも、ままあるように思います。
 「TRPGはみんなでひとつの物語を作り上げる遊びだ」という題目これ自体は非常にフレキシブルな概念で、おそらく誰にとってもそんなに間違っていないと思うのですが。
 これを自分の都合や思い込みでその内容を狭く解釈してしまったプレイヤーが、その題目を盾にして強い自己主張をすると、ちょっと面倒なことになるケースが多いように思います。
 (過去の自分はとりあえず棚に上げます)

 僕の知り合った20~30人ぐらいのTRPGプレイヤーを見ただけでも、各プレイヤーそれぞれ実に多様なスタンスを持っていて、当然、物語に関する価値観も人それぞれです。
 「みんなでひとつの物語を」と言っても、全員がひとつの理想的な完成図を共有し、ひとつの理想的な物語に収束していくようにキャラクターを動かす必要は、必ずしもありません。
 各プレイヤー各キャラクターが思い思いに統一性なく動いた結果、混沌として見栄えの悪い筋道の荒れたお話になっても、みんなでひとつの物語を作ったことにはなるのです。

 見栄えの良い物語を作ろうとすれば、ある種の「型」に、プレイヤーあるいはキャラクターを「嵌め込む」必要が出てきますが、この「型」が狭すぎれば、プレイヤーやキャラクターにとっては窮屈で、自分の表現したいモノを表現できなくなる可能性が高くなります。
 もちろん、自由すぎるプレイヤーやキャラクターというのも問題にはなりますが、こうした「型」の自由度の大きさはどの程度が適切なのか、一考の価値はあるんじゃないかなと思いました。

 おしまい。
by ikapon24 | 2011-04-29 03:27 | TRPG論考

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