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Stray thoughts

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随想。あるいは道に迷った思考。

すれ違い議論の本質

 命題1:「花子さんは(僕の)太陽だ」
 命題2:「太陽は核融合物質である」
 結論:「花子さんは核融合物質である」

 という論理学の講義で聞いたジョークはさておき。

 ネット上にはどーも「すれ違い」を起こす議論が多い。
 (残念ながら僕も例外ではないのだが)意見交換をしていたつもりが、いつの間にか罵り合いになっているというケースがよく見受けられる。
 そこからはもう、マイナス利得を増幅して押し付け合い、それが応酬するという、まったくもって不毛な議論となる。
 参加している全員が累乗的に損をし続け、誰も得をしない。
 最初は誰も、そんなことをしたいと思って議論を始めたりしてはいないはずだ。

 では何故そんな不毛な「議論らしきもの」が発生するのか。
 その本質的原因を思いついた気がするので喋ってみる。

 本来、論理的な議論というものは、命題1、命題2、……という複数の命題から、当然の帰結としての結論を導き出すものである。
 命題1が妥当で、命題2が妥当で、論理過程が正しく論理的であれば、誰が思考しても結論は妥当なものとして導き出せる。

 ところで、ネット上の多くの議論は、おそらく、この順番で思考をしていない。
 AさんとBさんが議論をしているとき、彼らの念頭に真っ先にあるのは、たいていの場合「結論」であると思う。

 Aさんは結論aを導くために、もっともらしい命題a1と、もっともらしい命題a2を用いて、結論aの妥当性を論理付ける。
 Bさんは結論bを導くために、もっともらしい命題b1と、もっともらしい命題b2を用いて、結論bの妥当性を論理付ける。

 ここでAさんが、Bさんの命題b1を「それは妥当じゃないんじゃないかい? なぜなら……」と指摘したとする。
 このAさんの言っていることは、わりと誰から見ても、もっともな内容だったとする。 
 すると結論bは、命題が1個潰れたので妥当性を失いそうになる。

 ここでBさんはどうするか。
 彼はあくまでも結論をbに導きたいので、命題b1の代わりとなる、もっともらしい命題b1'を新たに用意して、応戦するのである。

 ……この不毛さが分かっていただけるだろうか。
 ある結論を導き出したい人同士が議論をしたとき、論理的思考の過程の間違いをどれだけ指摘しても、それは本質的に意味がないのである。

 そして出してきた命題b1'''ぐらいがいよいよ無理やりであれば、Aさんは「おいふざけなよてめぇ、まともに議論する気あんのか」と(オブラートに包んで)言うことになる。
 そして今更引くに引けないBさんは「あァ? ヤんのかコラ」と(オブラートに包んで)応戦する。
 あとは不毛な(オブラートに包んだ)言葉の暴力の応酬となる。

 僕らは、正しく議論をしたいと思ったならば、自分が最初に思い浮かべた「結論」に執着がないかどうか、まず確認するべきだろう。
 そこに執着する自分がいるなら、正しく議論はできないものと思ったほうがいい。

 まあ、最初から「討論」をするつもりなら、その限りではないが……その場合は、相手も「討論」をやっているものだと思っていないと、フェアじゃないよなぁとは思う。
 そんな相手の寝首を掻いて勝利の愉悦に浸りたいような輩とは、議論も議論らしきものも討論もしたくはないですね、うん。

 やるならフェアにやろうぜ、というお話。
 ……でもないけど、そんな感じのお話。
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by ikapon24 | 2010-10-14 13:36 | 日常